『俺様のチョコレート』


 はぁ。とうとうこの日が来てしまった。2月14日。バレンタインデー。
 俺はなんだか無性に学校をさぼりたくなってきた。
 自分で言うのもなんだが、俺はモテる。何度か芸能界にスカウトされたこともあるこの甘いマスクに、県内トップを誇る優秀な頭脳。スポーツさせれば万能。しかも誰もが慕う生徒会長だからな、俺は。
 じゃあ何故バレンタインが嫌なのかって? そりゃあ、決まってる。まわりの女どもがうっとおしいからだ。いちいち呼び止められてチョコレートを渡される。ロッカーには勝手にチョコが入ってるし、机の上にもだ。そんな俺の身にもなってみろ。一人で食いきれるもんじゃない。特に俺は甘いものが苦手なんだ。
 しかも……俺が唯一チョコを貰いたいと思っていた女からは、絶対にもらえないことが判ってる。そいつは俺の親友へと笑顔でチョコを渡すんだ。ちきしょう。
 俺は先週見てしまったんだからな。彼女が俺の親友……永田裕也とチョコレートの話をしているのを。俺には見せた事もないような照れたような笑顔で。顔を赤くしてさ『どんなチョコが好きか』なんて話してるんだぞ。
 ああ……あれ以来、俺はこの日が来るのが嫌でしょうがなかったんだ。
 他の女にいくらチョコを貰ったって、好きな奴にもらえなきゃ嬉しくなんかない。そんな惨めな日には……。
「ちっ。やっぱりフケるか」
 途中まで学校への道のりを歩いていた俺は、校門が見えたところでくるりと回れ右をする。好きな女が自分の親友にチョコを渡しているところなんか見たくない。
 うん。そうだ。やっぱり今日はサボってしまおう。
 そう思って俺は学校とは反対に歩き出した。
「あっれー? 幸弘どこいくん? 忘れ物でもしたの?」
 オーマイガッ! 俺は一瞬そのまま走り去りたい衝動に駆られたが、なんとか持ちなおして振り返る。
「なんでもねーよ、馬鹿たまき」
 目の前に立つ小動物系の女。新谷たまき。くりくりした大きな瞳と少し大きめの前歯がまるでハムスターだ。
 その無邪気な笑顔がたまらなく可愛い。なんて、絶対に口に出しては言わないけどな。
 そう。この女が俺の好きな女。そして……俺の親友を好きな女。
「まーた人のことバカって言った。その口の悪さを他の女の子が知ったら、人気もがた落ちかもね。猫っかぶりの仲瀬幸弘くんっ」
 けけけと可笑しな笑い方をして、たまきは俺の顔をみる。
「ふん。俺は女には優しいけど『おとこ女』には優しくする気もわかないんだよ」
 ああ。なんでこう、憎まれ口ばかり叩いちまうんだろうな。自分自身が憎たらしい。
「おとこ女って誰のことよっ!?」
 案の定、たまきはぶんっと小さな拳を振り上げて、俺の顔面に繰り出してくる。もちろん殴られる言われもないのでその手をしっかと受け止めてやったけどな。
「普通の女は、グーで人の顔を殴ろとしたりしないの」
 にやりと俺は意地悪く笑ってやる。
「むぅぅぅぅ……」
 俺を上目遣いに睨みながら、たまきは悔しげに唸る。その怒った表情も、必死に敵を威嚇するハムスターみたいで可愛い。これが見たくて、ついからかってしまう俺も、相当な馬鹿なんだけどな。
「ん?」
 ふと、俺はたまきの頭に見慣れないものを見付けて、目を見張った。まさか、彼女がこんなものを……。
「馬鹿たまき、気でも狂ったのか?」
 いつもは寝グセが目立つショートの髪が今日は綺麗に整えられて、リボンの形をしたヘアピンが飾られている。しかもよく見てみれば、今日の彼女は唇に色付きのグロスなんかをつけているじゃないか!?
「え? なにが?」
 元からまんまるの瞳を更にきょとんと丸くして、たまきは不思議そうに俺を見やる。
「だっておまえ……今日はなんか色気づいてるじゃん。気でも狂ったのかと」
「――ばっ、ばっかじゃないの。い、色気づいてなんか……」
 そう言いながら、彼女は真っ赤になった。俺はそこで気が付いたんだ。彼女は、きっと今日のバレンタインの為に普段はしないようなオシャレをしてきたんだということに。
 そう。俺ではなく、俺の親友である裕也の為に……。
「……ふん。似合わねー。おまえみたいな男女がいくらオシャレしたって醜いだけだぞ」
 悔しくて、俺は思わずまたもや憎まれ口。ああもう。自己嫌悪もいいとこだ。
 またげんこつが飛んでくるかな。そしたら今度は受けてやっても良いかな。そんなことを思いながら、俺はたまきを見た。
「……えっ?」
 思わず俺は、絶句した。たまきの拳は、とんでこなかった。そのかわり、まんまるの大きな瞳にみるみると涙が盛り上がるのが見える。
 俺は一気に思考能力が停止して、何も言うことが出来なかった。
「……幸弘のあほっ!」
 たまきはヘアピンを毟り取るように外して俺に投げつけると、くるりと回れ右をして走り去っていく。
 おれはただ茫然として、追いかけることも出来ずに、ただそのヘアピンを拾い上げた。
「うっす、幸弘」
 うしろから声がして、背中を鞄で叩かれる。振り向くと、裕也がにこにこと笑顔で立っていた。俺の親友。たまきの、好きな男――。
「ああ……おはよう」
「どうした? 元気ないじゃん。今日は楽しいバレンタインなのにさ。さっきここにたまきが居たみたいだし、幸弘チョコ貰ったんだろ?」
 人の気も知らずに裕也は満面笑顔である。俺は思わずぶちきれそうになるのを必死で抑えつつ、親友の顔を睨み据えてやった。
「……おまえの方こそ貰ったんだろ」
「ああ、うん。さっき向こうの通りで会った時に貰ったよ。義理チョコのキットカット」
 はあ。やっぱりもうこいつには上げていたわけか。朝一で来るのを待ってたって訳だな。うん。そうか……義理チョコのキットカットか……え……?
「キットカットぉ?」
 思わず俺は目を丸くした。だってそうだろう? 本命に普通キットカットなんてやるか? あの女、やっぱり普通じゃねえ。
「そうだけど、なんか変か? だって義理チョコだぞ」
「いや、本命だろうがっ!」
 噛みつくような勢いで、俺は裕也に詰め寄った。
 だって、先週あいつは裕也に訊いてたじゃないか。どんなチョコが好きかって。うん? じゃあ「キットカットが好き」とでも言ったのか、こいつは? 阿呆じゃないのか?
 おれは頭がぐちゃぐちゃになりながら、わけの分からないことを叫んでいたらしい。
「おーちつけって、幸弘」
 裕也は可笑しそうに俺を見ると、おもいっきり俺の額を小突いてくれた。
 まったく、何すんだコノヤロウはよっ!?
「ああ、おまえアレ見てたんだ。なーに勘違いしたんだか知んないけどさ、たまきが俺に『幸弘は甘いもの苦手だけど、どんなチョコなら食べられるかな』って訊いてきただけだぞ」
 なんて暢気に言いやがって……幸弘が好きなチョコだとゆきひ……うん? 幸弘って……俺?
「はあっ? 俺の好きなチョコだってぇっ!?」
「ああ。そうだよ。ったく、おまえらって、ホントにわっかりやすいよなぁ」
 けらけらと、裕也は笑う。
 でも俺は、そんな裕也に構ってる暇なんかなった。一気に走りだして、さっき彼女が掛け去っていたほうに向かう。
 じゃあ何か。彼女があんなにオシャレしていたのも裕也じゃなくて俺の為だったって言うのか? さっき拾ったヘアピンを握り締めながら、俺は自己嫌悪に陥ってしまう。
 まったく、俺は馬鹿な男だったらありゃしない。
 そう自分を罵倒しながら、彼女がいるだろう場所へと向かう。彼女が落ち込んだ時に行く場所は知ってる。俺が彼女を好きになった場所でもあるんだからな。
 いつも楽しそうなハムスターの笑顔が、あの場所で隠れるように涙を流している姿を見た時に、俺はあいつに落ちたんだ。
 独りであんな顔をさせないくらい笑わせようって。守ろうって、そう思ったはずだったのに――。
「たまきっ!」
 俺は叫びながら、その部屋に入る。
 彼女が所属する演劇部の、衣裳や小道具がしまわれている小さな小さな部屋。
 案の定、彼女はその部屋の隅にうずくまるようにして座っていた。
「たまき……」
 近付く俺に、彼女はびくっと震えるように顔を上げた。その瞳からは、大粒の涙がとめどなくこぼれている。
 その口の周りには、なぜだか茶色い物が付いていた。
「な、なによぉ幸弘のばかぁ」
 まんまるの瞳が涙をためながら、じろりと俺を睨む。よく見てみれば、彼女の周りには綺麗なラッピング用の紙や箱が散らばっていた。
「どうせ……私はおとこ女だもん。可愛い格好したって醜いだけだもん……」
 しゃくりあげるようにそう言うと、彼女は手にしているチョコレートケーキを自分の口に入れ、そうしてまた泣く。
「泣きながらケーキを食べてさ……おまえは幼児かよ」
 思わず呆れたように言いながら、俺は彼女に近付いた。これじゃあまるで、駄々をこねる幼稚園児のようじゃないか。
「だって……幸弘……私のチョコなんか……いらないでしょ。だから……自分で食べてるんだもん……」
 ああもう。なんでこんなにガキみたいなハムスターみたいな女が、俺は好きなんだろうな。そんなことを頭の隅で思いながら、思わず微笑んでしまう。
「さっきのはさ。その……さ。おまえのオシャレが裕也の為だって勘違いして、それであんなこと言っちゃったんだよ。俺のヤキモチ! だから、ごめんな」
 そっと彼女の栗色の髪を撫でながら、俺は先ほど拾っていた可愛らしいヘアピンを、そっと彼女の髪につけ直してやった。
 彼女はきょとんと目を丸くして、俺を不思議そうに見上げている。その、大きな目に涙をためたまま。
「正直言えば、めちゃくちゃ可愛かった。似合ってた」
「え……? かわい……ヤキモチ……って……ええ!?」
 たまきは何度も目を瞬いて、それから俺の言葉の意味を悟ったのか、慌てたようにきょろきょろと視線を泳がせた。
「ああああ……えええええと、ど、どどどどうしよう?」
「なにがだよ?」
 俺は彼女の慌てぶりが可笑しくて、くすりと笑う。彼女はそんな俺の顔を見て真っ赤になると、困ったように眉根を寄せた。
「チョコレートケーキ……私全部食べちゃった。幸弘にあげようと思ったのに……」
「ふ……」
 俺は今まで生きてきた中で一番だと思うような極上の笑顔を浮かべると、そっと彼女の唇にキスをした。
「なっ……!?」
 たまきはこぼれるくらいに目を見開いて、絶句したように俺を見る。
「チョコ、口に付いてた。ごちそうさまでした」
 にこりと笑って俺が言うと、たまきはこれでもかというほど赤くなって、小さな拳を振り上げた。
「この、変態エロおとこーっ!」
 そうそう。たまきはそうじゃなくっちゃな。
 振り上げられた彼女の手を軽くとってやると、もう一度、俺は彼女に軽くキスをした。
 甘いものが苦手な俺への、ちょっぴりビターなチョコレートケーキ。それでも。何故だかとっても甘い味がした。

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